駒形神社(群馬・前橋)2026 ─ 磨墨の蹄を祀る午年の話題社|馬蹄ストラップ・馬刺繍御朱印と参拝吉日ガイド

JR両毛線・駒形駅の改札を出ると、駅名の由来となった社はもう近い。県道104号沿いに立つ一の鳥居をくぐり、住宅と畑が混ざる道を進むと、緑の杜がふいに現れる。群馬県前橋市駒形町の駒形神社。町名も駅名も、この社から生まれた。
2026年は60年に一度の**丙午(ひのえうま)**の年。馬を祀る神社が全国で改めて注目を集めるなか、この前橋の駒形神社は「源頼朝の愛馬・磨墨(するすみ)の蹄を祀る社」として、群馬県の公式観光サイトの午年特集にも取り上げられ、馬蹄ストラップや馬刺繍の御朱印といった午年限定授与品が話題になっている。
なお、「駒形神社」という社名は全国にあり、陸中一宮として知られる岩手・奥州の駒形神社とは別の神社である。山頂に駒の神を祀る東北の一宮に対して、こちらは平野の暮らしのただなかで馬とともに生きた土地の社。同じ「駒形」の名でも、祈りの風景はまるで違う。
駅名になった社 ─ 元亀元年から続く「駒形」の由緒
駒形神社の勧請は、『上野国郡村誌』によれば**元亀元年(1570年)**と伝えられる。戦国の只中、武田と上杉と北条が上州の平野を奪い合っていた時代だ。ただし、それ以前からこの地には馬を守護する信仰があったと考えられており、社名の起こりについて、江戸期の地誌『上野名跡考』は次のように記している。
駒形とは、野の神・山の神・水の神・土の神の他社より浄き土を採り駒形を造り、野馬守護のためこの四神を祀る
浄き土で駒の形を造り、野馬の無事を祈る。ここが古くから馬の放牧と育成の土地だったことを物語る一節だ。御祭神は食物と農耕を司る保食命(うけもちのみこと)。日本の民俗では馬と養蚕・農耕の神が結びつく例が多く、保食命を馬の守護神として祀る形は、東日本の馬産地に広く見られる。
明治40年には八坂社・稲荷社・秋葉社・琴平社が合祀され、地域の信仰をまとめて受け止める社となった。ご利益として挙げられるのは、馬にちなんだ足腰健脚・武運長久、そして商売繁盛・厄除け・学業成就。ウォーキングやマラソンを続ける人、勝負事を控えた人が、いまも節目ごとに足を運ぶ。
磨墨伝説 ─ 宇治川の先陣を駆けた名馬、上州に眠る
この社を特別な場所にしているのが、境内に伝わる**磨墨(するすみ)**の物語だ。
磨墨は源頼朝が持っていた名馬で、宇治川の戦い(1184年)の先陣争いで知られる。『平家物語』では、頼朝からもう一頭の名馬・生食(いけづき)を賜った佐々木高綱と、磨墨を賜った梶原景季が、激流の宇治川へ我先にと馬を乗り入れ、一番乗りを競った。漆黒の毛並みを磨いた墨にたとえられた磨墨は、日本の合戦史でもっとも名高い馬の一頭である。
前橋の駒形神社には、頼朝が草津へ向かう途中にこの地へ立ち寄り、愛馬・磨墨がこのあたりで最期を迎えたという伝承が残る。そして磨墨の蹄と伝えられるものが、御神体の一部として祀られている。境内が馬蹄形をなしているのも、この社の性格をよく表している。
史実として確かめられる話ではない。ただ、上州は古代から続く馬の国だ。名馬の終焉の地としてこの土地が選ばれ、蹄が神体として大切に守られてきたこと自体が、前橋の人びとと馬との距離の近さを伝えている。
丙午の2026年 ─ 話題の午年限定授与品と花手水
60年ぶりの丙午を迎えた2026年、駒形神社では午年ならではの授与品が用意され、参拝者の目を楽しませている。
- 馬蹄ストラップ ─ 蹄鉄は西洋でも幸運のシンボル。磨墨の蹄を祀る社の馬蹄守りは、この神社ならではの組み合わせだ
- 午年限定御朱印 ─ 和紙に馬の刺繍をあしらった一枚。書き置きの御朱印が刺繍入りというのは近隣でも珍しい
- 馬モチーフのお守り・開運の馬のぬいぐるみ ─ 授与所の棚に馬が並ぶ光景は、午年の社ならでは
境内では、参道左手の手水舎も見逃せない。馬の顔の像が据えられた手水鉢は季節の花や木の実で飾られ、花手水として親しまれている。拝殿には龍や亀の彫刻、境内には躍動感のある馬像や駒形稲荷神社もあり、こぢんまりとした社ながら見どころは密度が高い。地元メディアWe Love 群馬でも、花手水と御朱印の美しさが取り上げられている。
丙午とはどんな年なのか、干支の側から深く知りたい方は、福カレンダーのも合わせて読んでほしい。

旅河 楓旅と祈りの編集者
- パワースポット
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全国の神社仏閣・パワースポットを自分の足で歩き、土地の歴史と信仰を紐解く旅する編集者。地元の方への取材を大切にし、ガイドブックには載らない「祈りの風景」を伝える記事が読者に支持されている。
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