勝馬神社・大杉神社(茨城)2026午年 ─ 勝負運と金運の話題パワースポット参拝ガイド

利根川の下流域、水郷と呼ばれる低地がどこまでも続く茨城県稲敷市。田んぼの中の県道を折れると、あたりの空気がふいに変わります。杉の巨木が両側から迫り、真夏でも参道の温度が二、三度下がったように感じられる。その奥に、朱と金の色彩が唐突に立ち上がります。大杉神社──関東・東北に約670社が分布する大杉神社の総本宮であり、地元では「あんばさま」の名で呼ばれ続けてきた社です。
そしてこの境内の一角に、競馬関係者やファンが足を運ぶ小さな末社があります。勝馬神社。丙午(ひのえうま)の2026年、この二社を一度に巡る参拝が静かに注目を集めています。福カレンダー編集部が、暦の視点も交えて案内します。
767年、疫病の村に鎮まった巨杉 ─ 「あんばさま」の由緒
大杉神社の創建は**神護景雲元年(767年)**と伝わります。主祭神は倭大物主櫛甕玉命(やまとのおおものぬしくしみかたまのみこと)。配祀神の大己貴命・少彦名命は、仁治2年(1241年)に京都の今宮神社から勧請されたとされます。社格は旧郷社、現在は別表神社です。
由緒の中心にあるのは、僧・勝道にまつわる伝承です。日光へ向かう道中でこの地に立ち寄った勝道が、疫病に苦しむ人々を前に、そびえ立つ巨杉を神籬(ひもろぎ)として三輪明神を鎮祭した──。
巨杉を依代として神を招き、疫病を鎮めた。以来この社は「悪魔ばらえのあんばさま」と呼ばれ、水郷一帯の信仰を集めるようになった。
「あんば」の語源には諸説ありますが、鎮座地である**阿波(あば)**の地名との結びつきが指摘されています。利根川水運が物流の大動脈だった時代、船で行き交う人々があんばさまに旅の無事を祈った。この社が広域に分社を持つ理由は、水の道を辿れば見えてきます。
参道を進むと現れるのが麒麟門です。280年ぶりに再建された楼門で、極彩色の彫刻がびっしりと施され、杉木立の暗がりの中で目を奪われる存在感を放ちます。「関東の日光」と称されることもある華やかさは、日光への道中で生まれた由緒を思えば、どこか腑に落ちるものがあります。
末社・勝馬神社 ─ 862年の馬牧守護から「勝運」の社へ
本殿脇の小径を進むと、朱色の小さな社殿が見えてきます。鳥居の扁額に掲げられた文字は「最勝」。これが勝馬神社です。
この社の来歴は、大杉神社の境内社としては異例なほど古く、そして具体的です。
- 古名は「馬櫪社(ばれきしゃ)」。馬櫪とは馬の飼い葉桶を指し、馬の守護神を祀る社に用いられた呼称です
- 貞観4年(862年)、平安時代の官営牧場である**信太馬牧(しだのうままき)**の守護神として創祀されました
- 馬牧が廃絶した後、稲敷市幸田を経て、鎌倉時代に大杉神社の境内へ遷座
- 現在の社殿は**平成14年(2002年)**の造立
祭神は不詳とされています。1100年以上にわたって「馬の神」であり続けながら、祭神名だけが伝わらない──その空白が、かえってこの社の古さを物語っているようです。
見どころは社殿だけではありません。傍らに立つシイの巨木は、長い年月をかけて枝と幹が育つうちに、幹の一部が馬の頭のような形になりました。人が彫ったものではなく、自然にそうなったものです。参拝者がこの木の前で足を止め、しばらく眺めてから手を合わせていく光景を、たびたび見かけます。
そして昭和初期まで、大杉神社の境内では毎年4月8日に競馬が行われていたという記録が残ります。現在も公式の年間祭事には「駒牽祭(こまひきさい)/春季例祭」が4月8日に据えられており、馬とこの社の関係は祭の名前の中に生き続けています。
隣接する稲敷郡美浦村にはJRA美浦トレーニング・センターがあります。競走馬の調教拠点が目と鼻の先にあるという地理は、勝馬神社が競馬関係者の崇敬を集めてきた背景として無視できません。馬の神を祀る社が先にあり、後から近代競馬の拠点がこの土地に置かれた──順序としてはそうなります。
馬にまつわる社という点では、気仙沼の早馬神社も午年の御縁年を迎えています。午年に馬の神を巡る、という参拝の組み立て方は2026午年に参るべき神社10選でも取り上げました。
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旅河 楓旅と祈りの編集者
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全国の神社仏閣・パワースポットを自分の足で歩き、土地の歴史と信仰を紐解く旅する編集者。地元の方への取材を大切にし、ガイドブックには載らない「祈りの風景」を伝える記事が読者に支持されている。
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