流鏑馬神事2026 ─ 5月3日下鴨と5月5日賀茂競馬・9月鶴岡八幡宮、午年に深まる千年の弓馬の道

目次
5月3日午後1時40分、京都・下鴨神社の糺(ただす)の森に、装束を整えた行列が静かに入っていく。烏帽子(えぼし)に綾藺笠(あやいがさ)、葛袴(くずばかま)。500メートルの馬場の脇で、観衆は息を詰める。やがて馬蹄が地を打ち、「インヨー、インヨー」(陰陽)の掛け声が響く。鏑矢が空を切り、的が割れる音が森にこだまする。これが、葵祭の前儀として1500年あまり伝えられてきた「流鏑馬神事」である。
2026年は丙午(ひのえうま)の午年。馬を神の使いとする神社にとっては60年に一度の特別な年であり、流鏑馬や競馬(くらべうま)、駈馬(かけうま)といった馬の神事が、いつもより厚みを増して奉納される。福カレンダーの暦データで照合すると、2026年5月3日(日)は満月・先勝・大明日が重なる日。月齢15.6の満月が下鴨の森を照らす夜の前に、神事は淡々と進む。
この記事では、2026年の春から秋にかけて全国で奉納される主要な流鏑馬・馬神事のカレンダーを、暦の視点から整理する。福カレンダー編集部が現地取材と一次資料で丁寧に検証した、午年に訪ねたい弓馬の道の記録である。
流鏑馬とは ─ 武家の故実から神事へ
流鏑馬(やぶさめ)は、馬を疾駆させながら鏑矢(かぶらや)を射て、馬場に立てた三つの的を射抜く騎射の神事である。鎌倉時代の正史『吾妻鏡』には、源頼朝が建久元年(1190年)に鶴岡八幡宮で流鏑馬を奉納した記録がある。武家社会では、武芸の鍛錬であり、神への祈願であり、武士団の結束を確かめる儀礼でもあった。
流派は大きく二つに分かれて今日まで伝わる。ひとつは「弓馬術礼法 小笠原流」。源頼朝の弓馬師範を務めた小笠原長清を流祖とし、800年あまり一子相伝で受け継がれてきた。鶴岡八幡宮の流鏑馬は今もこの小笠原流の宗家以下一門が奉納する。もうひとつが「武田流」。甲斐源氏武田家に伝わる弓馬の故実を継ぎ、寒川神社では昭和41年(1966年)9月から武田流(公社・大日本弓馬会)による奉納が続いている。
両流派ともに共通するのは、流鏑馬を「武芸」ではなく「神事」として位置づけている点である。射手は神職と同じく潔斎(けっさい)を経て馬場入りし、的中の喜びは表に出さない。矢が的を射抜くことは、神への祈りが届いた印として静かに受け止められる。
下鴨神社 5月3日 ─ 葵祭前儀としての清祓
2026年の流鏑馬神事は、下鴨神社(賀茂御祖神社・かもみおやじんじゃ)から幕を開ける。
【2026年5月3日(日) 午後1時〜3時30分頃】 この日は憲法記念日であり、福カレンダーの暦データでは先勝・大明日・満月(月齢15.6)が重なる日。日干支は丁丑(ひのとうし)。新緑が一年でいちばん色を深める時季に、糺の森500メートルの馬場で五頭の馬が四回ずつ走り、計三つの的を射抜いていく。
下鴨神社の流鏑馬は、5月15日の葵祭(賀茂祭)を安全に執り行うための「前儀」である。葵祭の路頭の儀(行列)が通る道を清め、邪気を祓う神事として位置づけられている。射手は束帯と狩装束に身を包み、鏑矢を放つたびに観衆から静かなどよめきが起こる。京都市公式観光Naviによれば、馬場入りは午後1時40分頃、流鏑馬の開始は午後2時前後だ。(京都観光Navi 騎射流鏑馬神事)
下鴨神社そのものの暦上の物語は、福カレンダーの下鴨神社(京都・糺の森)2026 ─ 世界遺産×流鏑馬×午年守護「言社」で整える初夏の参拝でも詳しく扱っている。糺の森は東京ドーム3個分の広さを持つ原生林で、平安時代の歌枕にも登場する。流鏑馬の馬場はその森を貫く参道に設えられ、新緑の天蓋の下で行われる。
5月5日のダブルヘッダー ─ 上賀茂賀茂競馬と藤森駈馬神事
下鴨神社の流鏑馬から二日後、5月5日(火・こどもの日)には京都市内の二社で、それぞれ別の様式で馬神事が奉納される。福カレンダーの暦データではこの日は先負・一粒万倍日が重なり、しかも午後8時49分には立夏を迎える。日干支は己卯(つちのとう)。立夏の前夜祭にあたる時刻に、京都の二社で馬神事が奉納される構図は、午年の暦が描き出す静かな対比である。
上賀茂神社 賀茂競馬 ─ 平安・宮中行事の余韻
【2026年5月5日(火) 午前10時〜・本祭は午後1時〜】 上賀茂神社(賀茂別雷神社)の「賀茂競馬(かもくらべうま)」は、寛治7年(1093年)に堀河天皇が天下泰平・五穀豊穣を祈願し、宮中の武徳殿で行われていた競馬を上賀茂神社に移したものと伝わる。930年あまりの歴史を持つ神事である。
午前中に菖蒲根合(しょうぶねあわせ)の儀などが整えられ、午後1時から「競馬会(くらべうまえ)の儀」、午後2時頃から本番の「競駈(きょうち)」が始まる。二頭ずつ左方の赤・右方の黒に分かれ、一馬身の差をつけてスタートする。スタート時の差が広がれば前の馬が、縮まれば後ろの馬が勝ちとなる独特のルールだ。左方が勝つとその年は豊作になると伝わる。(上賀茂神社公式 賀茂競馬)
なお5月1日(金)には前日譚として「足汰式(あしぞろえしき)」が行われ、出走馬の年齢や脚質を見て5日の組合せを決める。福カレンダーの暦では5月1日も大安で、新しい挑戦に縁起の良い一日である。
藤森神社 駈馬神事 ─ 1200年の戦場馬術
【2026年5月5日(火) 午後1時・午後3時】 同じ5月5日、上賀茂神社から市内をくだった伏見深草の藤森神社(ふじのもりじんじゃ)では、「駈馬神事」が午後の二回奉納される。1200年あまり伝えられてきた神事で、京都市の登録無形民俗文化財に指定されている。(藤森神社公式 駈馬神事)
駈馬神事の妙技は、戦場で実際に行われた馬術を再現したものとされる。疾駆する馬の上で逆立ちをする「逆立ち(杉立ち)」、敵の矢が降る中を駆け抜ける所作の「手綱潜り」、馬上で文字を書く「一文字書き」、深い沼を渡る所作の「藤下がり」など、見ようによっては曲芸のようでありながら、すべてに戦場での実用的な意味があった。
藤森神社は勝運の神として知られ、競馬関係者の参拝も多い。福カレンダー編集部が取材した5月5日の境内では、駈馬神事の合間に三基の神輿が氏子町内を巡行し、武者行列と鼓笛隊が深草の町をゆっくり進んでいた。藤森祭(深草祭)としての一連の流れは5月1日から5日まで続く。
武田流と小笠原流 ─ 二大流派の歩み
流鏑馬を語るうえで欠かせないのが、武田流と小笠原流という二つの弓馬礼法の系譜である。
小笠原流の系譜
小笠原流は、源頼朝の弓馬師範を務めた小笠原長清を流祖とする。鎌倉時代以降、室町・江戸を通じて武家の故実として連綿と受け継がれた。装束は小笠原流独特の梨地烏帽子(なしじえぼし)に水干(すいかん)、葛袴。射手は的の前で「インヨー」と発しながら矢を放つ。この掛け声は陰陽の調和を願うものとされ、神事としての性格を強く帯びている。
宗家は東京・小笠原教場に置かれ、現在は31世小笠原清基宗家の代である。鶴岡八幡宮の春秋の流鏑馬、の流鏑馬、富士山本宮浅間大社などへの奉納を継承する。
2026年の暦カレンダー

旅河 楓旅と祈りの編集者
全国の神社仏閣・パワースポットを自分の足で歩き、土地の歴史と信仰を紐解く旅する編集者。地元の方への取材を大切にし、ガイドブックには載らない「祈りの風景」を伝える記事が読者に支持されている。
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