伊豆山神社(静岡・熱海)2026 ─ 走り湯の縁結び・源頼朝政子の誓い、午年に巡る関東屈指の権現参拝

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逢初橋から見上げると、熱海の街と相模灘がひと目で視界に収まる。海から吹き上げる風がやや塩を含んでいて、振り返れば熱海港の汽笛が小さく届く。ここ、静岡県熱海市伊豆山──「伊豆」という地名そのものの発祥地に、関東屈指の古社、伊豆山神社が鎮座する。
参道入口にあたる伊豆山浜から数えれば、本殿までの石段は実に 837段。源頼朝が源氏再興を祈り、北条政子と並んで腰を下ろしたという「腰掛石」が今も残る、関東きっての縁結び社である。
2026年は十二支で午年。各地で「馬ゆかりの神社めぐり」がメディアに取り上げられているが、関東の参拝ルートを語るうえで欠かせないのが、頼朝が始めた二所詣──伊豆山・箱根・三嶋を巡る幕府公式の祈りのかたちだ。福カレンダー編集部が現地の風と石段の感触を頼りに、午年に訪ねる伊豆山神社の歩き方を案内する。
「伊豆」の名はここから始まった ─ 走り湯のしぶきと権現信仰
伊豆山神社の御祭神は 伊豆山大神(いずさんおおかみ)。火牟須比命・伊邪那伎命・伊邪那美命の三柱を総称した神格で、伊豆国の名はこの社名に由来するとされる。全国に点在する伊豆山神社・伊豆神社・走湯神社の事実上の総本社格にあたり、平安期には山岳修験の霊場として大きな勢力を持った。
参道の途中、海岸近くに湧き出るのが「走り湯」だ。毎分170リットルの温泉が横穴から噴き出し、しぶきが走るように見えることから名づけられたとされる。**愛媛・道後温泉、兵庫・有馬温泉と並ぶ「日本三大古湯」**のひとつに数えられ、横穴の湯気を浴びながら岩肌を覗き込むと、千年前の修験者たちもまさに同じ湯気を吸い込んでいたのだろうか、と時間の遠さがふっと近くなる。
この走り湯の上方、海抜380mの本宮社まで続く一帯を、古くから「伊豆山曼荼羅」と呼ぶ。海から湧く湯と山頂の磐座が一筋の登拝道で結ばれ、修験者は湯で身を清めてから山頂を目指した。神仏習合期には「伊豆山権現」「走湯権現」と呼ばれ、関八州鎮護の社として武家の崇敬を集めていく。
源頼朝と北条政子の誓い ─ 関八州鎮護を生んだ縁結びの森
平治の乱に敗れた源頼朝は、永暦元年(1160年)にわずか14歳で伊豆国蛭ヶ小島へ流された。20年もの流人生活のなか、頼朝が源氏再興の祈りを捧げた社のひとつが、この伊豆山権現である。
そして、ここで頼朝は北条政子と出会う。境内の「腰掛石」は二人が肩を寄せて語り合ったと伝わる石で、参道脇にひっそりと残る。政子の父・北条時政が二人の関係に反対し、政子を別の相手と婚儀の席に出させようとしたとき、政子は雨の夜、屋敷を抜け出して伊豆山権現へ駆け込んだ──『吾妻鏡』に基づく後代の伝承は、この駆け落ちの場面を関東縁結びの原風景として語り継いできた。
挙兵後の頼朝は石橋山の戦いで敗れ、わずか7人の手勢で逃避行を続けるが、箱根権現の僧によって匿われ、命拾いをする。鎌倉に幕府を開いてからの頼朝は、伊豆山権現と箱根権現を「二所」と呼んで篤く崇敬し、関八州鎮護の社として多くの社領を寄進した。
縁結びの神格として現代に伝わるのは、まさにこの頼朝・政子の物語があるからこそ。境内の「結明神社」には縁結びの神「結明神」が祀られ、古くは「一名恋祭り」という神事が営まれた。本宮境内のハート形に並べられた石は、現代の参拝者がついカメラを向けたくなる縁結びのしるべだ。
837段の参道と本宮社 ─ 海抜380mで体感する伊豆山曼荼羅
伊豆山神社の最大の特徴は、海から山頂へと連なる垂直の参拝経路にある。
- 海岸(伊豆山浜)から走り湯神社まで:173段
- 走り湯神社から般若院を経て本殿前まで:664段
- 本殿から本宮社まで:徒歩約1時間(さらに山道を登る)
合わせて837段。すべて踏破するなら、片道2時間ほど見ておきたい。海と山の高低差を一気に体感する登拝道は、まさに「修験の山」だった伊豆山の名残である。
時間に余裕がない場合は、**バス停「伊豆山神社前」**で下車すると、本殿までの残り約180段を上るだけで参拝できる。ただし、福カレンダー編集部としては、せめて「般若院」から本殿までの石段は歩いておきたい。中腹の「光石」は触れることも腰掛けることもできるパワースポットで、石を撫でる手のひらに、相模灘から吹き上がる風と、千年の参拝者が積み重ねてきた祈りの両方が伝わってくる。
本殿のさらに奥、海抜380mの位置にある本宮社は、参拝の道のりが片道1時間ほど。ハイキング装備で訪ねる価値は十分にある。木立の隙間から覗く相模湾の青と、足元の苔むした石段を見ているうちに、頼朝が祈った「源氏再興」の重さが、ふっと身体感覚として近くなる瞬間がある。
5年ぶりの「お下り」と災害からの祈り ─ 2026年春の例大祭
2021年7月3日、伊豆山地区を熱海市伊豆山土石流災害が襲った。神社南西の逢初川沿いに大規模な土砂が流出し、地域は深い傷を負った。例大祭の神事に欠かせない神輿装束も流失し、毎年4月に行われていた**「お下り」**──神輿が約700段の石段を下る江戸時代から続く伝統行事──も中断を余儀なくされていた。
それから5年。2026年4月15日、春の例大祭で5年ぶりに「お下り」が復活した。装束は地域や全国の支援で再仕立てされ、神輿が石段を下る音が、再び伊豆山の谷間に響いた。福カレンダー編集部が確認した範囲でも、地元の方々が「地域の絆を取り戻すきっかけになった」と語る声が静岡新聞ほか各紙に伝えられている。
例大祭は毎年4月14日〜16日の3日間。本年(2026年)の本祭礼日にあたる4月16日には、伊豆山神社御例祭が斎行された。お下り・お上りの神輿渡御は、地域の復興を願う祈りそのもの。災害から5年の節目に、暦が春の盛りを伝える時期と重なる。
参道沿いの市道・伊豆山神社線も通行規制が解除されており、走り湯浜浴場も健在。仕出し屋や旅館も営業を続けている。2026年春以降は、参拝・観光ともに通常どおり受け入れているので、安心して計画を立ててほしい。
午年2026の二所詣 ─ 箱根神社・三嶋大社と巡る関東源氏ロード
源頼朝が始めた二所詣は、鎌倉幕府の公式行事として『吾妻鏡』にも記録される由緒ある巡礼だ。文治4年(1188年)正月、頼朝は源氏一門と御家人ら300騎余りを率いて出発し、6日後に鎌倉へ帰着したと記される。
「二所」とは、頼朝と政子の苦境に手を差し伸べた走湯権現(伊豆山神社)と箱根権現(箱根神社)。これに源氏再興の必勝祈願を行った三島社(三嶋大社)を加えて、伊豆三所権現を巡るのが正式な「二所詣」のかたちである。記録によれば、頼朝は4回、政子は2回、3代将軍源実朝は8回もこの巡礼を行い、幕府の儀礼として1327年(嘉暦2年)まで続けられた。
2026年は午年──馬は古来、神様と人をつなぐ神聖な存在で、力強く速く走る姿が「願いを神のもとへ届けてくれる」と信じられてきた。馬を奉納できない代わりに板絵を捧げたのが「絵馬」の起源であり、その**絵馬発祥の社・貴船神社**を関西で訪ねるなら、関東では二所詣ルートで「勝負運と縁結び」を整えたい。
2026年の暦カレンダー

旅河 楓旅と祈りの編集者
全国の神社仏閣・パワースポットを自分の足で歩き、土地の歴史と信仰を紐解く旅する編集者。地元の方への取材を大切にし、ガイドブックには載らない「祈りの風景」を伝える記事が読者に支持されている。
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本記事は一般的な暦の知識や伝統的な解釈に基づいています。 占いの結果を保証するものではありません。最終的な判断はご自身でお願いします。
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