愛宕神社(東京・港区)2026 ─ 出世の石段「馬」伝説と千日詣り、火の神様で読む午年の参拝ガイド

目次
東京メトロ日比谷線「神谷町」駅を出て、虎ノ門ヒルズと森ビルに挟まれた都会の谷間を5分ほど歩くと、突如としてその石段の前に立つ。
86段、傾斜40度。下から見上げると、石段は途中で空に消えているように見える。坂の上にあるはずの社殿は、石段に隠れて見えない。これが、東京23区の自然山としては最高峰、標高25.7メートルの愛宕山に鎮座する愛宕神社の正面参道、通称「出世の石段」だ。
ビル群の隙間に、ぽかりと残された江戸の聖域。ここを歩くたびに、土地の記憶が今も40度の角度を保って立っていることを思い知る。福カレンダーが2026年の午年丙午(ひのえうま)に訪ねたい東京のパワースポットとして、愛宕神社をどう読むか。旅と祈りの編集者・旅河楓が、暦とともに歩いた一日を綴る。
江戸の防火の聖地 ─ 1603年慶長八年、徳川家康の命で創建された火の神様
愛宕神社の創建は1603年(慶長八年)。江戸幕府を開いた徳川家康が、江戸の防火の守り神として桜田山(現在の愛宕山)に勧請したとされる。総本社は京都・嵯峨愛宕山の愛宕神社で、火伏せ・防火の神として全国に約900社の分社を持つ愛宕信仰の関東中核社にあたる。
主祭神は火産霊命(ほむすびのみこと)。日本神話で伊邪那美命(いざなみのみこと)が産み落とした火の神で、母神を焼き滅ぼしてしまったがゆえに、火そのものを司る存在となった。江戸の町は木造家屋が密集し、振袖火事(明暦の大火、1657年)をはじめ大火に何度も襲われた都市である。家康が「火の神様を江戸の中心に置く」という発想で愛宕を選んだのは、軍事都市から商都へと変わる江戸の都市計画の中で、火災こそが最大の経済的脅威だと見抜いていたからだろう。
配祀神は三柱。**罔象女命(みずはのめのみこと)**は水の神、**大山祇命(おおやまづみのみこと)**は山の神、**日本武尊(やまとたけるのみこと)**は武徳の神。火・水・山・武。土地の四つの相を一社に納めた構成で、防火祈願にとどまらず、勝運・商売繁盛・印刷出版業守護まで、現代の都心生活に必要な幅広い御神徳を持っている。
社殿の手前、丹塗りの門の左手には将軍梅が植えられている。これが次に語る出世の石段の伝説と、地続きでつながっている。
86段に「馬で」駆け上がった男 ─ 1634年寛永十一年、曲垣平九郎の出世石段伝説
時は1634年(寛永十一年)。三代将軍・徳川家光が、菩提寺の増上寺参拝の帰途に愛宕山の前を通りかかったとき、山上に紅白に咲き誇る梅を見つけた。家光は供の武士に向かって言った。「誰か、馬であの梅を取って参れ」。
86段、傾斜40度。下りるのも危うい急斜面である。供の者は誰一人として手を挙げられなかった。沈黙が続いた末、四国・讃岐丸亀藩の家臣**曲垣平九郎(まがき・へいくろう)**が一礼して馬を進めた。一気に石段を駆け上がり、山上の梅を一枝手折って、再び馬で駆け下りて家光に献上したという。
家光はこの離れ業に感嘆し、「日本一の馬術名人」と称した。以後、平九郎は丸亀藩内でも一目置かれる存在となり、四国の田舎武士にすぎなかった一人の侍が、将軍の目に留まって出世した──この一件から、愛宕山正面の石段は「出世の石段」と呼ばれるようになる。
平九郎が将軍に献上した梅の枝は、現在も社殿前の将軍梅として植え継がれている。境内に立つたびに、馬と梅と将軍の、たった一日の出来事が、390年後の東京の谷間で今も時間を縛っていることに気づく。
福カレンダー編集部の覚え書き:曲垣平九郎の伝説は、講談「寛永三馬術」の中核演目として江戸後期から大正期にかけて広く語られた。歴史上、この石段を実際に馬で上り下りした記録は他にも残っている。明治十五年(1882年)に石川清馬、大正十四年(1925年)に陸軍参謀本部の岩木利夫、昭和五十七年(1982年)にスタントマンの渡辺隆馬。3人とも「曲垣平九郎の偉業を再現した」と当時の新聞が報じた。伝説は史実と地続きに、今も挑まれ続けている。
午年丙午の2026年に愛宕神社を訪れる意味は、ここに集約される。馬と石段、そして「出世」という言葉。60年に一度の丙午は、本来は「強い火の年」とされ、女性の生まれ年として誤った迷信に縛られてきた歴史がある(参照:丙午(ひのえうま)の夏 2026|60年に一度の干支が教える開運の知恵)。だが、江戸の火の神様の社で、馬で駆け上がった侍を思い起こすとき、丙午の「火と馬」はむしろ突破力の象徴として読み直せる。福カレンダーの暦データと土地の記憶を重ねると、午年×火の神様×出世石段の三重文脈は、2026年の都心パワースポットとして突出している。
千日詣り 2026年6月23-24日 ─ ほおづき発祥の社、6月24日は一粒万倍日×己巳の日が重なる
愛宕神社の年間最大の参拝行事が、千日詣り(せんにちまいり)だ。毎年6月23日と24日の2日間、9:00から18:00にかけて開催される。この2日間に参拝すると、千日分の御利益があるとされる古来の信仰で、社殿前に設えられた茅の輪をくぐる。
そして愛宕神社が他の千日詣り神社と違うのは、ほおづき市発祥の地であることだ。江戸時代、近隣に住む女性が夢枕に「愛宕様」を見て、神社に自生していたほおづきを煎じて飲めば持病の癪(しゃく)や子どものかんの虫に効くと告げられた。試したところ症状が治まり、以来この社で「お祓い済みのほおづき」を授かる風習が始まったという。浅草寺のほおづき市(毎年7月9-10日)はあまりにも有名だが、その源流は港区愛宕の千日詣りにある。
2026年の暦を福カレンダーの暦データで開くと、千日詣りの2日間は次のような日並びになる。
| 日付 | 曜日 | 六曜 | 月相 | 吉日 | 日干支 |
|---|---|---|---|---|---|
| 2026-06-23 | 火 | 先勝 | 上弦 | ─ | 戊辰 |
| 2026-06-24 | 水 | 友引 | 上弦 | 一粒万倍日・己巳の日 | 己巳 |
注目すべきは2日目、6月24日(水)だ。一粒万倍日と己巳の日が同日に重なる、2026年でも数えるほどしかない日である。一粒万倍日は「一粒の籾が万倍の稲穂になる」金運・事業運の吉日、己巳の日は60日に1度巡る弁財天の縁日で、特に金運・才能開花の最強日とされる(詳細は【2026年】己巳の日×弁財天の金運パワー|60日に1度巡る最上日を暦で読み解くを参照)。
つまり、6月24日に愛宕神社で千日詣りをすると、千日分の御利益+一粒万倍日+己巳の日の弁財天の力が一日に重なる構図になる。福カレンダー編集部としては、午年丙午の都心参拝で2026年に外せない一日として、この日を強く推したい。
参拝時間の目安として、6月23日(火曜・上弦)は午前中の参拝が縁起的に有利。6月24日(水曜・上弦)は朝夕を避け、昼前後(11時〜13時)が伝統的な吉刻とされる。
千日詣りの茅の輪は、左→右→左の順に8の字を描いてくぐる。これは伊弉諾尊の禊払の故事に由来する作法で、愛宕の境内では宮司の指示に従えば迷うことはない。お祓い済みのほおづきの初穂料は2,000円前後(年により改定あり)、雷除け・無病息災の御札として一年間家に祀る習わしだ。
例大祭「出世の石段祭」2026年9月22-24日 ─ 隔年偶数年に巡る輪島塗六角神輿
愛宕神社の例大祭は、別名。毎年9月22日から24日にかけて開催されるが、。つまり、にあたる。前回は2024年、次回は2028年。2027年は神輿渡御を伴わない通常祭になる。
2026年の暦カレンダー

旅河 楓旅と祈りの編集者
全国の神社仏閣・パワースポットを自分の足で歩き、土地の歴史と信仰を紐解く旅する編集者。地元の方への取材を大切にし、ガイドブックには載らない「祈りの風景」を伝える記事が読者に支持されている。
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本記事は一般的な暦の知識や伝統的な解釈に基づいています。 占いの結果を保証するものではありません。最終的な判断はご自身でお願いします。
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